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症状詳記という罰

自分達の世界には症状詳記という全く意味のない仕事が存在する。


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血小板が8000と低値であったため,脳出血起こすなど命に関わるため血小板を輸血した.(15単位や20単位でなく10単位)そのあとの週末土曜に輸血しておいたら,日曜日は(自分が)安泰だったが,あえてそれはせず,採血を繰り返して我慢した.つまり最低限の消費で十分な安全を確保したつもりだった。そして翌月自分のもとに症状詳記なるものが課せられた.「輸血をなぜ行ったか文章で(いいわけを)書いてください。」そして自分たちはもともと用意してあった文章をコピペーして提出する.いったいどういう意味があるのだろうか?医療費が切迫しているのは知っている.お国はめんどくさい手順を踏ませれば,医師はそれを行うのを躊躇して財政圧迫が抑制されるとでも思っているのだろうか?それともただじゃないんだから感謝しなさいね.というだけの意味であろうか?実際お金がかかるということはそれだけ手間もかかっている.患者を救うために,時間外給があろうとなかろと自分たちは働く,その上お金を使ったから言い訳を書け!というのは自分たちの精神的にも悪いシステムだし,それで抑制されたりはしない.要は自分たち医療者の心の問題である.何かをやるのとやらないの決断は患者にプラスかマイナスで考えるもの.病院の儲けのためにリスクのある輸血をする者がいるのだろうか?

 

それで思い出したことがある.自分がまだ研修医のころ正月に血液内科を回っていた.年末年始は血液が滞るので先に注文しておいてくれとのお達しがあり化学療法を開始する人がいたので血小板が低下する恐れがあったのでオ--した.しかし連休中血小板輸血は必要ないままに乗り切れそうだった.--した分はどうするのか聞かれて答えられなかったが,その時の上司がしょうがないから入れよう.ということになった.今ならしょうがないと思えるかな?血液センターもしくは検査部が年末年始仕事を縮小するためであり,自分たちは全く関係なくむしろ普段より働いていたのだ.患者さんのために働いた分,その輸血製剤を捨ててもいい。というくらいの(患者のためにできるという)ご褒美があってもよかったのではないだろうかと今でも思う.その時は妙にに悔しく,でもどうにもできなかったことを覚えている.


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