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病院がするべきこと [つれづれ]

病院の成果ってなんでしょうか?
病院に勤めていない人は、、そんなの簡単!病気や怪我の人を治すとこだろうっておっしゃるでしょう。僕もこの職につくまではそう思っていました。

この世界に入って最初に気づいたのは、病気を治すことだけではなく、死を迎えさせてあげること自体も我々の大切な仕事であることでした。
それから、病気を治してあげられなかっとしても、癒してあげることも出来るし、しなくてはならないと思うようになりました。
それから、これからの日本の医療に、必要とされる医師を育てることも自分の指命だと思うようになりました。

僕にとって病院の成果とはこの4つまでで、これ以上のものがありません。
高齢化 そして医療費の高騰にたいして厚生労働省はいろんな手をうってきていますが、医療の手不足とともに、大きな問題となり、いろいろな、いたちごっこが繰り広げられています。

私個人としては医療の質を落とさずに医療費を抑える方法は”各医師の意識の問題”という結論に達しています。厚生労働省はどう考えているのでしょうか?
医薬分業を徹底させて、医師に”変な”お金が入らなくなったのはよかったのですが、以前のような報酬がなくなって労働だけが残った医師は結局、寛容されてきた、”制限のない勤務時体系”に耐えられなくなってきています。その結果、患者を制限することが、慣用となっているのです。自分たちの力の範囲内で診る事が原則なのですが、僕にはどうも医療の供給自体がとっくに需要を上回っているようにしか思えません。

厚生労働省は、医療費の安さマイナス面として、そして医療費を抑えるために、病院から患者を外にだすために3ヶ月以上病院に入院していると、病院の報酬が少なくなるシステムにしました。この”対策”としてグループ内で3ヶ月ごとに患者さんを回していたりするのですから、それこそ本末転倒で、最も被害を被っているのは、患者自身なのです。

在宅医療に持って行く方針も結局、勤務の無制限労働を開業医に持ち込んだだけ、うまくいくはずもありません。
この国の刹那的ないたちごっこ医療はいつまで続くのでしょうか?

今一度、病院が建てられた理由を僕らは考えるべきなのではないでしょうか?少なくとも、利益を上げて生き残るためではないはずです。

利益を上げるために患者を犠牲にしなければいけないとすれば、病院の存在自体が疑問に思えてきませんか?また、それとも医療制度が悪いのだからと開きなおるのでしょうか?

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