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尾崎豊展 [今日の出来事]

尾崎豊展へ家族といってきた。

時期を同じくして自宅に任天堂スイッチを迎え、さらにカラオケが導入され、一週間の間子供達への導入のためオザキを歌いまくった。カラオケというものには20代のころは月1だったが、30代になって年150代になってからは10年に2.3度となっていたので自分の音程のとれなさや高音のでなさに苦労したが、それでもなぜか子供達特に下の子には受けて、「家族で尾崎展」も自分の中では成功だった。

尾崎豊と出会ったのは19の時だったが、その頃自分は浪人中で親からも距離を置かれ、その時の恋人とはどうしても通じ合えない孤独感と戦っていた。そんなときレンタルレコード屋でであった「僕が僕であるために」は衝撃的だった。自分の中の律法の外側にいる彼女のことを求める自分と拒絶する自分の葛藤のなかで、自分は彼女の事を受け入れるためには自分をおとしめなければならないのではないか?という自分の心は逃げなんだ。と言われている気がした。結局戦い切ることはできなかったし、自分なりに自分の境遇にあてはめたのだろうけど、それでもいまだに自分の心に響くものもある。

にしても初期の3枚を久々に(30年ぶり?)に聞いてみたが、この3枚で音楽的に成熟しているにもかかわらず、「いい」と思えるものは成熟度ではないことに改めて気づくものだ。

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