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ヒトは相互依存的にしか存在し得ない事に異存はない [子育て日記]

P-PCバランス昨日家族読書会で渋沢栄一の論語と算盤の一節をよんで子供達に説明した。それはしゃかりきに自分だけがとお金を稼ぐと、他人のものまで奪わないと満足できなくなる。かといってモチベーションのない働き方でみんながなまけると国がダメになってしまうという話しだった。そしてあさ通勤途中久しぶりに聞いた「7つの習慣」はP-PCバランスの話しだった。これは期せずして全く同じ内容の話しである。

コーヴィさんはP( production)を金の卵PC(production capability)をそれを産むガチョウにたとえ、より広い範囲で具体的に説明している。

 

自分は、長女にはひとり勉強してできるようになるよりもみんなで教え合う方がよりかしこくなる。みんなで宿題やらないって決めたら一人が怒られることはなくなるけど、みんなでダメになっていくよね。なんて話しをした。

 

次女には音を出しながら逃げるかくれんぼで彼女は音を出さずに最後まで生き残った話しをした。ひとり生き残っても楽しくないと伝えたかったのだが、より楽しかった、ルールなどなかった。自分ひとりでなくもう一人いた。などと、詭弁的に返してくる。ちょっとがっかりの父であった。

ヒトは相互依存的にしか存在し得ない事に異存はないが、P-PCバランスは結局自分のためにヒトを育てるという理論と自分はとらえている。そこには愛とか友情というものは含まれていないようである。けんかして気まずくなって、最初に声をかけてたのにの何かがふわっと溶け出すようなあの感覚はP-PC理論とは別の次元のものではないかと思う。

 

でも次女もしくは人間の性悪とまでは言わないが、性自己中心的な部分は明らかに存在し、それをもって社会で生きていくために大切な方法であることには違いない。これを自分は子供達に教えていくべきなのか少し迷っている。

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