SSブログ

フラウニーとズーイ

フラウニーが彼を会うところくらいまでは普通の恋愛小説から少しズレ始めるほどで内容はつかみやすかったのだが、ズーイの話になってからは表現はよりウィットに富んできて、知らない単語が増えてきて、知らないヒトの言葉が引用される。まるでランボーの詩がながーく続いているようだ。


th_IMG_5619.jpg


砧公園


 

そして自分の語彙力のなさを痛感させられるのだ。おそらくこれを簡略に言えは困難だろうと自己翻訳してみると何とも平べったい文章となり小説というジャンルからはずれてしまうのを感じる。そして自分という人間がヒトより思慮深いと感じていたのは幻想だったのではないかとも思ってしまう。みんなこんな複雑な思考を抱えながらも、それらをペルソナとやらの中にしまいこんでいるのだろか?それで、浮気されても気づかされなけりゃいい。なんて平べったりステレオタイプ的なことをはばからず口にするのだろうか?

ではフラウニーなら彼氏の浮気に対してどのように発言するのだろうか?もちろん一般化などできない。だとすればステレオ的発言はただのコミュニケーション手段で、それを言う側も聞く側も承知で楽しんでいるのだろうか?


nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。