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母が他界してから(2年目は3回忌らしい) [つれづれ]

自分は母親の存在に対してある意味無頓着だったように思う。なにがしかの言葉で人生を導いてもらったという記憶もなく、なんらかの良い行いの手本を見せてもらったという意識もなく、むしろ、ひとりの女性としては、批判的に見ていた部分もあるように思う。

しかも大学に入ってからは基本的には離れて暮らし、 こちらから定期的に連絡するということもなかった。

母親がガンにになったと知ったその日、娘が生まれた。この日母が死んだ夢をみてから本当にいなくなるまで、自分は母親の夢を見ることはなかった。

むしろ、ガンであることを心のどこかで否定しつつも、どこかあきらめに似た感情で、そのことから目をそらそうとしていたように思う。それも母に対する批判的な感覚をこれから訪れる信じがたい状況に対する盾するようにして生きていたように思う。

 

なんらかの深い話をすることもなく、母が逝って自分はここ1年で5回母の夢をみた。

ひとつめは本当は生きていて、それを喜んで父親に報告する夢。

二つ目は母親が苦しんでいる姿。

3つ目は忘れてしまったが、4つ目は、泣きじゃくる自分に母親がふたりの自分の2人の子供を指して、「橋本さん、この子達に慰めてもらいなさい。」

5つ目はつい先日だが、幼い頃住んだ向島の家の2階の自分の襖から母親が顔をのぞかせた後、階段を降りていき、そのあとをおって階段の下半分まで降りた時点で母親が死んでいる事を思い出す。妹のいつもいた部屋へ行くと母が言葉もなく子供のようにわらって妹とともに横になっている。「しんでるんだよな」それなのにこんなに現実みたいに、触ることもできるんだな」というと妹も母親もなにも言わず、笑っている。母親が愛用していたニットのショールをこれもらっていい?というがやっぱりやめておこうと思い直し、母親の肩にかけたところで目が覚めた。

 

ただ存在するだけで、こんなにも大きな存在であることに気づかされる母親というものを今更ながら、夢が教えてくれているようで、納得のような、後悔を伴うような、不思議な経験である。

母親が亡くなった後でさえそれを受け入れられなかった自分が意識の下で少しずつ受け入れていった様子が夢に映されたのだろうか。


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