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私が患者を断らない3つの理由 [つれづれ]

わたしが私が患者を断らない3つの理由。

勤務医というものは基本的にいくら働いてもあまり給料はかわりません。

診る患者が医療者にとって質(?)が高く、数は少ない方がよいというのはごく自然のふつうの発想だと思います、かくゆう私もそういう感じる人間です。

ではなぜ私が意固地なまでに患者を断らないと言い続けているのか?

1つはそれが医師としても使命だと思うからで、それはほぼすべての医師に共通することでしょう。

もう1つは自分の人生を汚したくないという潔癖性的な理由です。これは患者からモノを受けとらない。中途半端で組織をやめない。というものにも共通しています。

3番目高齢者社会に向けてすべての医療者が高齢者医療をシェアする必要があると考えるからです。「譲り合えばあまる奪い合えばたりぬ」の世界を夢見るからにはまず自身がという考えてやっております。
そして自身がそうすることで、何らかの影響を若い医師に与えられないかという想いからです。自分の体力もいつかは限界がくるでしょうが、「自己犠牲的精神」は言葉で伝えられるものではないと考えています。
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何度でも言うが診断は誰がつける? [今日話したこと]

ここ二日、何度も言っていることがある。
それは「診断は自分でつけなさい」
検査を受けるかどうか、専門医を呼ぶかどうかだけをを決めるのが研修医の役割だと思っているのなら、レベルの高い医療は望めない。
どんなに優秀な放射線診断医も画像だけで正確な診断はできない。
例)左の股関節痛で来院した人にMRIを施行。
読みは外傷。穿刺したら膿だった。
緩徐発症 糖尿病そして発熱、身体初見から感染性関節炎の疑いを譲らなかったから穿刺までお願いすることになったのだ。
例2)
腹膜透析中の人が腹満と発熱で来院。
普通は腹膜炎を考えるのだが、CTを撮影して専門医に依頼。急性の経過だから消化管穿孔を疑ったというのだが、果たして、、それだけの情報でCTで診断つけろというのか?
例3)リスクのある胸痛のひとがEKG正常で酵素が上がっていないからMIは否定的という。そうやって機械的に否定できるのなら苦労はしないというものだ。胸痛にもいろいろある。どれほど疑っての心電図なのか? 次の検査に行くかどうかはキミが決めるのだ。
例4)
入院中の患者さんが30分ほど前に胸痛を訴えておられました。「それで?」聴診してみたんですけど心雑音も聴取できなくて、「心雑音が聞こえたらなんなの?」肺の音もきれいで「肺の音でなにがわかるの?」「・・・」ACSやdissection は考えなかったの?「そんな感じじゃないんです」「そんな感じってどんな感じ?人の命に関わるような疾患を医師になって半年の君の勘で否定するのかね」例えば心電図の侵襲は0でしょ?コストはかかるけど、それでまず否定なぜそれをとるのに躊躇が必要なの?「検査の侵襲」/「疾患の重症度×疾患の可能性」が低いほど検査の閾値も低いのではないかな?一番大切なことはなに?患者の安全じゃないの?もちろん心電図をとったから否定できるものでもなく最終的には”君が”きちんとと重症疾患を否定するのですぞ。
うーんサンドイッチ不成功。でも通じたようだった。検査をできるだけするなと言っているのではない。担当の医師が軸をしっかり持って検査を行わないと結果に振り回されることになりかねない。と言いたいのである。
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ディズニーメソッド [つれづれ]

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ディズニーリゾートのキャストトレーニングスタイルを学んで。


10月1日から2泊3日で東京ディズニーリゾートのトレーニングの方法を学んだ。


実際は済生会病院の研修医が屋根瓦式に後輩を指導する方法を学ぶという企画のファシリテーターとしても参加でなんと給与まで出るのだが、むしろ学んだ事がが多い二日間だった。


 


初心者を教えるメソッドを系統立てて①自分の準備→②相手の準備→③仕事の説明→④実践→⑤フィードバック→①というDisney Training cycleというものを徹底させて教育していくのだが、あまりにも複雑で多彩な状況に置かれることに対しての対応を迫られる我々の仕事しとしては、マニュアルが一部のものに適応されることがむしろ弊害となり得る可能性も考えさせられた。


どんなことでもマニュアルにあてはまらなければ思考静止になってしまうからだ。


 


反面、何度も繰り返し、急を要するようなもの(例えばアナフィラキシーショックの対応)や手技(CV挿入など)ではある程度のマニュアルと予行演習があった方がよいことは自明の理である。


ディズニー式のマニュアルはできる限り簡潔。それを軸に行動基準 目指すゴールおよび組織が尊重する価値観を徹底させることで、多く抱える従業員を同じ方向に向かわせ、各自のアイデアを引き出し、モチベーションを保たせようとするもので、話だけなら一石三鳥にも四鳥にもなる可能性を持っているように思え、結局企業理念やその職場の行動基準というむしろマニュアルとは逆の抽象的な決めごとの徹底が大切ということと理解した。


 


確かにこの仕事をしていると、大切なことが交錯し、また行き違い、いろいろな軋轢を生んでいるように思う。あげくの果てには誰かに都合のよいマニュアルが作成され強制されたりする。


 


病院にとってなにが大切で優先すべきことなのか、それこそが我々が働く意義であり、そのために労力はいとわないというのは理想論だろうか?


 


少なくとも入院患者を増やせだの、在院日数を減らせだの、本筋から外れた命令はギリギリの仕事をしている人にとっては心が萎える話であるが、病院によっては本気で”マニュアル”化してくるところもある。「大事だろ」と言われればそうなのだが優先順位が上層部と現場が違うことが多々あることは、組織としてはやはりマイナスなのではないだろうか?


差し金的な人はただ、思考静止的に決まりなんだからと押しつけてくる場合も多々見受けられる。


それで病院が潤えばよいことであり、それほど病院の経営は危機的なのだろうが、ではディズニーが経済的にも成功している理由な何なのだろうか?あそこで働くことがステイタスになり、また給料が少なくても働きたくなるよってよい人材がセレクトされる。全体がよい方向に向くの良い循環に向いているように思う。


 


具体歴な例で考えてみよう。病院での価値観として私が行動基準として考えるとすれば


Accuracy  Communication InsideOut  Efficiencyなのだが


目指すべきゴール は健康 安心 幸福の提供である。


価値観としては患者のために病院がある。


 


 


たとえばこれらから作られる外来マニュアルがあるとする。


外来スタッフマニュアルを作るとすれば、


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患者の安全>患者の満足>医療者の利益の優先順位で行動する。


ルールを守らない患者にはそれを説明する。


※ルールとは、時間により受け付けの場所が異なる。電話での相談は基本的に受けない。時間内に来院してもらい相談してもらう。


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電話での相談は不可能というのが私の持論であり、相談所をもうけるのがよいと考えている。


 


安全=十分時間をかけた診療ということが言えるので満足よりも優先される。待たされて起こる人がいてもこのマニュアルに従えば、説明することができる。


 


担当の患者が急変して医師が向かわなければいけないときもそちらの患者の安全が優先されることを説明できる。


また、患者を待たせながら、雑談をしていることはこれは患者満足より医療者の利益を優先させたことになる。


おそらく一番難しいのは患者の満足と医療者の利益の優先順位かもしれない。


ただ少なくとも何か行動をとるときにそれは医療者の利益を優先しているのではないだろうか?という疑問が生まれるのはよいことのように思える。


 


基本的にだれかがルールを決め誰かの利益のために強制されるようなシステムは働くひとにも患者のためにもよくない。


シンプルな行動基準と病院の理念が徹底するためにおこわなわれるなにかが最も重要なのかもしれない。


 


このように理念行動基準を徹底させ常に働く人の表に出すことからむしろしばられたマニュアルより行動がよい方向に向かうのではないかというのがディズニーメソッドであり、私のもっとも共感した部分である。


 


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