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負けるが勝ち [つれづれ]


大衆などどうとでも操れると思っているのだろうか?

11才の時代々木オリンピックプールで泳いだ。その時日本で一番古く、一番立派な50m室内プールで泳げて幸せと思った。10年以上もたってまだまだきれいだなぁと思った記憶もある。

今考えると、あのすごい体育館ができてすぐ(11年)の時に泳いだのだな。

戦後25年、南北戦争から 100年の時にアメリカに水泳合宿でホームステイをした。同じグループのヒトは違ったが、子供たちはあからさまに僕たちをバカにした。あれは大人たちにの考えの投影であることは16才の僕のにも感じることができた。

生まれてから16年戦争は終わって新しい時代だけを見てきたヒトと戦争が終わるのをにとどけてからの25年では同じ国の中でもまったく違うものを見ているのは明らか。 僕らはその人たちの考えから遠ざけられたところで育てられた気がする。

考えてみれば、僕らはアイオワ州の名前は知っていてもハンガリーの首都は知らない。

戦争の時敵だったアメリカ人は我々のことを悪く言わないが、中国韓国の一部のヒトは未だに日本を責め続けている。そんな中で真珠湾の話しだけは我々の中に強く宿っている。南京事変や満州事変より天安門事件 の事の方がよく知っている。僕らは過去の我が国に目を背けて育てられ、「平和呆け」という珍しい人種になった。目的は「骨抜き」だったおのだろうが結構なことではないだろうか?


実際中国や韓国がうちを責めてくる可能性など低いであろうし、集団的自衛権などというものもたいして自衛隊のできる範囲が広がるわけではないように思う。

実際テロに殺されている日本人は何人もいる。そしてそれらに力で対抗することこそがテロたちを生んでいることを私たちはすでに学んでいるはずなのである。


世界が成熟してくとはどういうことなのか?というところで、偽善的に世界を引っ張り回してる国の片棒を担ぎ続けたうえに、そろそろ植民支配から逃れようというところで、おまえもと刃を持たされている感がどうにもしゃくにさわるのである。


我が国が全体主義に?なんて話しではなく、よわっちいやつがボスに媚びをうるために、もしくは密約を守るために自分の仕事の本領を放り投げて、裏切りものとまで言われている。警察→警察予備隊→自衛隊と同じ流れなだけなのに、そして使い捨てられるのもわかっているだろうに、、結局「負けるが勝ち」というもしかしたら唯一の争いを止められる文化をもつ国が世界を救うきっかけをなくしていくような、そんな期待を裏切られた感を持っているのはわたしだけだろうか?

やっぱりおまえはあいつの子分か、、で終わっただけのここのところの騒ぎであった。そんな気がします。



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内科を選んだもともとの理由 [今日話したこと]

大学の5年生のころに苦手だった生化学を教授のもとにかよって勉強し直したことがあった。非常に楽しい勉強会であったが、そのとき感じたことは、「ほとんどの病気が遺伝子の異常でここを修復しないことには治らないのではないのか?」いまから思えば、生化学を通してのことであり、実際の臨床は治せなくてもマネージすることがたくさんあることに気づいているのだが。 その時 内科を選んだのはそのころ遺伝子治療が始まったところで、将来、本当の意味で治すことができるカテゴリーで働きたいと思ったから。
そして今は全然違う世界にいる。そんなフワフワとしたよく言えはidealisticな理由で内科を選んだのがつくづく自分らしいと思うのだが、信じることは譲らないことを信条とするわりには意外とextravertであることが振り返ると思い知らされるのであった。
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