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思考の中心は? [つれづれ]

1億総確証デバイスになりつつあるが、ながされデバイスよりよいのではないだろうか?

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考えてみれば昭和から平成はテレビを初めとしたメディアに支配されていたように思う。そしてそのメディアは決して筋が通った日本の国をよい方向に導くというものでもなかった。例えば東京をここまで年中心型にしたのは、いったいなにを思ってのことだろうか?そもそもテレビ局は東京に集中し、報道するものは東京にあらずば国にあらずといわんばかりであった。人も会社も富も考えまでもが東京に集中し、意外はすべて地方となってしまった。そんな集中に一矢報いたのがふるさと納税なのだろう。そしてコロナ禍、今都心に住まなくていいということに人が気づき始めているかもしれない。その気づきは日本に何をもたらすだろうか?リニアなどいらなくなるだろうか?すべての人が総テレビ局のようになって、いろいろな中心が生まれ、日本国民がひとつの方向をみていた時代が終わろうとしているのだろうか?それがよいことなのかそうでないのか?よくわからないが、変な操作による多数決が減るのではないだろうか?1億総確証デバイスなのだけど、ながされデバイスよりよいのではないだろうか?


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