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何が悲劇をうむのか [つれづれ]

ここまで書いて落ち着いてきたので、漫画はあり。そして必ず感想文を書くそれをしつこく監視する。本はどんなだったと聞いてそれはすごい!と言ってやる。また、ちょっとした本で面白いやつをできるだけ読んで聞かせるということで手を打つ決心をした。


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本読みやめたらまだ読みたいと、、

自分は1つ前のiPhone をバックアップを取る用として残しているのだが、それは子供にとっても楽しいものいっぱい詰まっていることになる。ネトフリとか、、、最近嫁が勝手に次女にそれを貸していることを気がついてはいたがあまりにもあちこちに“それ”が落ちているのでついに今日

怒って切れてしまった。それにはこれまでのいろいろな気持ちが詰まっているのだと思うのでそれを書き連ねてみよう。

2年ほど前から子供達にはiPadを与えているがそのソフトはできる限り楽しいけれどもためになるもののみを入れるようにしている。それでも時々意味のないようなゲームを入れていたりするのでそれを厳しく制限しているわけだが、

とにかく子供たちが自立する前はただ楽しいものとして楽なものに流れる前に楽しいけれども実になるものを与えたいと思っている。楽しくて楽なものに流れてしまうともうそれよりも少しでも楽しさ度が下がると興味を失ってしまうのではないかと恐れているのだ。妻はそれとは少し考え方が違うようだ。もちろん歳をとるにつれて外界からいろんなものが入ってくるそれは甘んじて受けようかとも思うが、わざわざ大衆娯楽的なものをこちらから与える必要はないと考えている。少なくとも1つはなんらかのメリットが子供にあればと思う。そういうわけで自分はNetflixもパウパトロールの英語版など楽しいけれども自宅での英語環境に乏しい彼女らに与えようとしたしドクターストーンも論理的思考の参考になると考え導入した。興味を持って自分もやりたいと言うのではないかとピアノの森やのだめカンタービレを見せているがあまり、効果がないようだ。つまが見せているのは呪術廻戦とゲゲゲの鬼太郎。鬼滅の刃はみんなが知っていたからしょうがないとしてもこの二つは“妻が”好きなものではないか!何かの褒美として自分のiPhoneでそれらを見せているようだが、結局子供の心には父親が切れてそのiPhoneを取り上げ、楽しかったのにそれを取り上げられたと言う悲しさだけが残るのである。妻とはこの件について何時も話し合ってきたがずっと平行線だったのだろう。その意見の統一がなされなかったことがこの悲劇を生んだのである生んだのである。自分も漫画やアニメが好きである。そして面白いと言う思うものを見てしまうのも事実だ。しかし小説や本から得られるものも大きい子と言う習慣が自分にそれほど養われなかったことを後悔もしている。その理由はやはり環境にあったのではないかと考えている。漫画のない世界に生きていたら昨日はもっと文字からいろんなものを想像できる運命になっていたのではないかなどと思っているから少なくとも子供たちに外からそれが入るまでは世界を体験させられたらと思っていた。どうも妻は漫画は漫画、小説は小説として別々のものとして捉えるのではないかと考えているようだし、妻自身もそうだったようである。今は一応父の意見を通して漫画は買わないことにしている。しかしそれらをするように本当に欲するようになったときにそれを禁止することは逆にそれへの渇望を高めることになることは避けなければならないと思っている。

と、ここまで書いて落ち着いてきたので、漫画はあり。そして必ず感想文を書くそれをしつこく監視する。本はどんなだったと聞いてそれはすごい!と言ってやる。また、ちょっとした本で面白いやつをできるだけ読んで聞かせるということで手を打つ決心をした。



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