総合内科不要説(2) [医療]
また,救急科のように別の道を取ることもできたかもしれない.
すなわち,北米型と称して入院はみずに救急患者のみをファーストタッチする.それにより医師のADLは保たれまだまだ日本で受け入れられてないにせよ,少しずつその考え方が定着しつつある.
そういう意味で内科的総合医の3つの学会を統合したことはより総合医のカテゴリーを曖昧なものにしてしまったように思う.外来,入院, 開業と別れていた方が結果的には総合医の発展をみたかもしれない.
で,自分がこの日本でどうやっていくことが最も医療にとってよいかということを総合医目線で考えたのが,昔の医療への回帰である. 以前医療は医師と患者の信頼関係で成り立っていた,もちろん今でもそうなのだが,高度医療が発達し,人間が出来ることが増えてきた現在,結果が優先される割合が多くなってきている.もちろんそれはそれで喜ばしきことではあるのだが,偉大なるネイチャーから切り取った部分で成功を収めているという事実を忘れがちになり,不明な部分は切り取って目をつぶることが習慣化しているのを目にすることもある.いちばん大きな置き去られた事実は“老衰‘ではないだろうか?現代で人が長く生きるようになったがために老衰ではなく感染症で亡くなるケ-スが増えているように思うが,それすらも敗北のように感じてしまうのか?医療者(特に医師)も家族も受け入れにくくなっているように思う.しかもなんらかの生死を決めるような決断を家族がしなくてはならなくなってきている.老衰という自然の根本原理を受け入れずに実際は医療は出来ないはずである.つまり,手に負える部分を切り取って対面してきた医師も,自分のカテゴリー以外に視野を広げておいた方が,より医師として深い診療を行えるように思うのである.少なくともそういう部分を医師全員がある程度までもカバーしていかないことには,今の高齢者社会を上手に乗り切ることはできないと思うのである.先程から述べているように,そういう部分を晴れものに触るようかもしくは価値がないかのように扱えば,患者や家族が不幸になるし,総合医に丸投げできるほどの力は総合医のマンパワーとしてまったく足りていない.
実際に総合医などというものがいない病院では,専門を名乗る医師たちはキチンと自分のカテゴリー外のところまで診ているものなのだ.
下手すると総合医の存在事態が日本の医療を悪くする可能性まであるということかもしれない.
では必要性を感じて総合医を選んだ者たちはどのように生きていけるだろうか?というのが今の自分の大きな課題である.
開業してしまえば,ある種の労働からは解放され,プライマリーケアを全う出来るのだろうが,やはりクリニックと病院の医療はかなり違う.総合医だけど病院で働きたい人は必ずいる.そういう人は人を集めればよいか?というと,みんながみんなそれが出来るわけではない.
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